電力の50Hz/60Hzもインフラの失敗例

 4/12(月) 16:12配信で「新幹線と在来線 なぜ線路の幅が違うのか 英国の意志? 決定に後悔? もし同じならば」(乗りものニュース)がヤフーニュースに転載されているが、数多いコメントの多くは全くの的外ればかりである。この記事も「高輪築堤」(https://dr-kimur.at.webry.info/202103/article_17.html)が発見された頃に掲載すべき内容であるが、何を思ったのか今頃の掲載になっている。こうしたニュース性がない記事であり、内容ものんびりとした内容である。その内容は標準軌と狭軌を論じている。しかし、殆どのコメントでは狭軌で良かったとするものばかりである。この記事では大隈重信が、「日本の鉄道を、狭軌にしたのは、わがはい一生一代の失策だ。」と言ったという話が伝わっていることを述べるべきであったと思う。

 明治政府は「富国強兵」、「殖産興業」を掲げ、「文明開化」と称して西洋を模倣する政策が採られた。その中で、鉄道の軌道幅を一般的な標準軌ではなく、狭軌にしたのでは、こうした明治政府の政策を強力に推し進めるのには支障が出て来る。輸送力の問題だ。また、その後、大陸に進出・侵攻して植民地化したのだ。その時には鉄道を施設したのだが、勿論狭軌であった。したがって、島国の日本ではなく、大陸では標準軌と狭軌があったために鉄道は直通運転できないことになってしまった。

 しかし、コメントでは電力の50Hz/60Hzを話題にしてしまっているのだ。大卒以下の学歴では50Hz/60Hzの歴史的経緯を教わることも自分で調べることもなく、東日本大震災時に東京電力の福島原発がメルトダウンして、電力が不足して供給がままならず計画停電が行われた。その時に日本国内では関西・西日本が60Hzで、片や関東・東日本は50Hzであることが西日本の電力を東日本に供給できないという現実が分かった。しかし、そうなった歴史的経緯は知らされなかった。

 「電力分野でも日本は商用電源周波数においては東日本が50Hz、西日本が60Hzとなってしまったために相違があり、東日本大震災時には西日本の電力を東日本に供給することが殆ど出来ず、大規模な計画停電が続いたことは記憶にあるだろう。関東では、明治20年(1887年)から直流送電を行っていた東京電燈が、交流の優位性の高まりに応じて交流送電への転換を決めた。そこで、50Hz仕様のドイツ・AEG製発電機 を導入し、明治26年(1893年)に浅草火力発電所を稼動させた。しかし関西では、明治21年(1888年)に設立された大阪電燈が当初から交流送電を選択し、60Hz仕様のアメリカ・GE製発電機 を採用した。それ以降、国内には50Hzと60Hzの商用電源周波数は存在している。歴史的には国内では最初に関西の大阪電燈で60Hzの交流を採用し、5年遅れて関東の東京電燈が50Hzの交流を導入している。これは大阪電燈に交流を導入した岩垂邦彦氏に反発して直流送電から交流に変更する際に、意図的に、岩垂氏が採用していた60Hzではない50Hzを採用したとされている。なお、岩垂氏ほその後、電力事業から通信分野に移り、明治32年(1899年)に日本で最初の合弁会社・日本電気株式会社を設立している。この通信機メーカーが現在ではNECと呼ばれている。」(https://dr-kimur.at.webry.info/202103/article_17.html)。詳しくは日本電気の社史にこの問題が詳しく掲載されている。

 こうした歴史的経緯があり、60Hzの後で50Hが敢えて導入された。したがって、50Hzを導入した浅草火力発電所を稼動させた東京電燈がその際に50Hzを導入したことを悔やんでいたことはないであろう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント