杉山神社は本来は「鎌倉殿の13人」に関連する神社ー地下鉄ブルーライン蒔田駅そば

 「蒔田杉山神社 23年ぶり「お色直し」 社殿、朱色に塗り替え〈横浜市南区〉」(タウンニュース 9/8(木) 8:00配信)には、

「地下鉄蒔田駅そばの杉山神社=宮元町3の48=の社殿が23年ぶりに塗り替えられ、鮮やかな朱色の姿が9月3日、4日の例大祭でお披露目された。800年以上の歴史がある同神社の社殿が「お色直し」されたことを受け、周辺の住民からは「とても明るい雰囲気になった」と喜ぶ声が聞かれる。

同神社は承元3年(1209年)に源頼朝の三男・貞暁法印が鎌倉幕府の鬼門鎮護のために創建したとされる。蒔田駅のそばで鎌倉街道に面しており、蒔田周辺の住民に広く愛されている。

現在の社殿は、1957年に造られたもの。2009年に創建800年を迎え、記念事業として社殿の屋根のふき替えを実施。その後、社殿の塗り替えを検討していた。

これまで、社殿の柱は薄い桃色だったが、神社に祀られている市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)に合う色が朱色であることから、社殿を朱色にすることにした。社殿の塗り替えは1999年以来、23年ぶり。

7月中旬から工事が始まり、例大祭の直前に完成した。社殿の柱などが鮮やかな朱色になり、くっきりとした姿が浮き上がるようになった。

明るく、元気に
9月3日には、例大祭の式典があり、氏子や蒔田地区の町内会関係者など約50人が集まった。

今回の「お色直し」のために蒔田連合町内会などから多くの寄付が寄せられた。同連合町内会の茅野繁会長は「朱色になって明るくなった。蒔田地区全体が元気になる」と話した。

同神社の宝積章麿宮司は「社殿がきれいになって、神様も喜ばれていると思う。神社が多くの方に大切にしていただている存在だと改めて感じた」と感謝した。」

と報じられている。

 鎌倉街道を挟んで無量寺がある。

 「横浜市南区宮元町3に鎮座する杉山神社は承元3年(1209年)、俗に鎌倉法印と呼ばれた貞暁法印(源頼朝の三男)が、鎌倉幕府の鬼門鎮護のため、伊豆国土肥の杉山から市杵島姫命を勧請したのが起源である。七社弁天の一つとされ、七杉山神社などの言い方もある。
 貞暁法印は、南龍山不動院無量寺(https://4travel.jp/travelogue/11627591)を開山となって創建し、鎌倉法師貞暁阿闍梨とも呼ばれた。3代将軍源実朝の兄にあたる。
 明治42年(1909年)、無格社大神宮社、稲荷神社を合祀し、祭神2柱を加えた。御祭神は、主祭神が市杵島姫命・天照皇大神・宇賀御魂命、相殿に木花開耶姫命を祀る。
 大正12年(1923年)の関東大震災で被災し、鉄筋コンクリート造の現社殿は昭和32年(1957年)に造営された。
 平成21年(2009年)には鎮座800年を迎えた。
 「杉山神社」の社号標石は東郷平八郎(弘化4年12月22日(1848年1月27日)~ 昭和9年(1934年))が揮毫したものである。氏子の中に東郷を知っている人がおり、お願いしたのだという。「伯爵東郷平八郎謹書」とあり、改まったものである。横須賀、逗子、鎌倉と東郷ゆかりの地でも揮毫した社号標石は少なく、初めてのことだ。
 貞暁法印(文治2年(1186年)~寛喜3年(1231年))は源頼朝の三男ではあるが、母は大進局であり、北条政子の嫉妬により不興をかい、建久3年(1192年)に頼朝は貞暁を仁和寺に入室させた。その後、貞暁は高野山で修行し、承元3年(1209年)に南龍山不動院無量寺(https://4travel.jp/travelogue/11627591)と杉山神社を創建した。寺のホームページ(http://kouya-muryouji.com/freepage_3_1.html)によると、「貞暁は源頼朝の子として鎌倉に生まれたが、故あって幼少より仏門に入り、紀伊の国高野山で修行に専念した。頼朝の死後、幕府は政権の安定を欠いたが、幕府創業の功臣執権北条時政は貞暁を将軍職として鎌倉に招聘した。貞暁は途上蒔田の宿場に着いたがその夜持仏である不動明王が夢枕に立ち、『汝、鎌倉に入るとも世はすでに北条の天下である。旬日のうちに運命の厄に遇わん、宜しくこの難を避け菩提の道を得られよ』とのお告げを受けた。貞暁は深く時局を洞察して入府を断念し 時政に告げた。時政は上人の清い信心を讃え鎌倉法印の称号と禄を以て遇した。この奇縁によって、蒔田の山麗に御堂を建て不動明王を本尊として安置し、南龍山不動院無量寺と号し、貞暁は当山の開祖となった。以来鎌倉鎮護寺として発展した。」と記載されている。北条政子は、承久の乱(承久3年(1221年))により鎌倉市中が不穏になり、弘明寺界隈に難を逃れている。その乗蓮寺(横浜市南区井戸ヶ谷上町)(https://4travel.jp/travelogue/10877023)から南龍山不動院無量寺(横浜市南区蒔田町)と杉山神社(横浜市南区宮元町3)は近い距離ではあるが、貞暁誕生からの経緯から、政子が頼朝の三男を頼って弘明寺界隈に避難した訳ではないだろう。弘明寺観音にすがってのことであろう。」(2020/06/24)

 今では平政子は貞暁に帰依していたことが知られている。最後の一文は訂正すべき内容であるようだ。

src_66514979.jpg          「杉山神社」社号標石。「伯爵東郷平八郎謹書」とある

src_66514978.jpg          朱色に塗り直す前の杉山神社拝殿

 なお、 横浜市南区大岡1には若宮八幡宮が鎮座する。

 若宮八幡宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年(1193年)に創建した。久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門に当たる。下大岡村の鎮守社だったという。

 鎌倉街道の東側には細長く宮元町1~4、通町1~4・若宮町1~4が続いているが、元宮町は杉山神社に由来し、若宮町は若宮八幡宮に由来する氏子の町であろう。

 それにしても、鎌倉の鬼門にあたる弘明寺界隈には、頼朝生前には頼朝により若宮八幡宮が創建され、没後には頼朝の三男により杉山神社と無量寺が創建されているのである。

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