沢庵和尚は鎌倉・建長寺の伽藍復興に寄与した
「今日が命日の沢庵和尚 反骨の僧とたくあん漬けの逸話とは〈dot.〉」(AERA 12/11(土) 7:00配信)には、沢庵和尚とたくあん漬けの逸話が紹介されている。
3ページにもわたる長文の内容ではあるが、仏門に入った但馬国出石(兵庫県豊岡市)のお寺の名前も出て来ない。京都の大徳寺と北品川の東海寺しかお寺の名は出て来ないのだ。
しかし、鎌倉を訪れて建長寺を参拝すれば、建長寺には不相応な立派な仏殿が建っている。これは沢庵和尚が同じ宗派である臨済宗の建長寺が荒廃しているのを憂いて、3代将軍・徳川家光公から、母・お江の方の御霊屋を譲り受けて、芝・増上寺から鎌倉に移築したものである。
徳川家では初代・家康公に続いて、2代将軍・秀忠公の御台所が亡くなり、盛大に葬儀が執り行われ、立派な御霊屋が建立された。しかし、後に2代将軍・秀忠公が亡くなると、その御霊屋に並んで、新らたにお江の方の礼拝所が建立され、元々の御霊屋はそのままになっていた。
移築されたのは正保4年(1647年)である。国の重要文化財に指定されている。ビャクシンの参道並木の先にある仏殿には丈六の地蔵菩薩が安置されている。
他にも唐門なども増上寺から移築されている。
大河ドラマでは所縁の地が紹介されるが、2011年に放送された大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」では紹介されなかった。江戸時代に亡くなった女性の御霊屋で、これほど立派な建物はない。残念なことである。
3ページにもわたる長文の内容ではあるが、仏門に入った但馬国出石(兵庫県豊岡市)のお寺の名前も出て来ない。京都の大徳寺と北品川の東海寺しかお寺の名は出て来ないのだ。
しかし、鎌倉を訪れて建長寺を参拝すれば、建長寺には不相応な立派な仏殿が建っている。これは沢庵和尚が同じ宗派である臨済宗の建長寺が荒廃しているのを憂いて、3代将軍・徳川家光公から、母・お江の方の御霊屋を譲り受けて、芝・増上寺から鎌倉に移築したものである。
徳川家では初代・家康公に続いて、2代将軍・秀忠公の御台所が亡くなり、盛大に葬儀が執り行われ、立派な御霊屋が建立された。しかし、後に2代将軍・秀忠公が亡くなると、その御霊屋に並んで、新らたにお江の方の礼拝所が建立され、元々の御霊屋はそのままになっていた。
移築されたのは正保4年(1647年)である。国の重要文化財に指定されている。ビャクシンの参道並木の先にある仏殿には丈六の地蔵菩薩が安置されている。
他にも唐門なども増上寺から移築されている。
大河ドラマでは所縁の地が紹介されるが、2011年に放送された大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」では紹介されなかった。江戸時代に亡くなった女性の御霊屋で、これほど立派な建物はない。残念なことである。
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