神事流鏑馬が開催-笠間稲荷神社
「笠間稲荷神社「神事流鏑馬」、3年ぶりに実施 来年の農作物の豊凶占う」(みんなの経済新聞ネットワーク 11/6(日) 10:00配信)には、
「笠間稲荷神社の「神事流鏑馬」が11月3日、笠間小学校前の特設馬場で行われた。コロナ禍の影響で3年ぶりの実施となった。(水戸経済新聞)
1950(昭和25)年に始まった神事流鏑馬は、日光東照宮、鶴岡八幡宮と共に関東三大流鏑馬と呼ばれる。鎌倉時代の武者装束に身を包んだ小笠原流一門の射手や氏子らが神社拝殿前で安全祈願を行った後、馬場までの約700メートルを勇壮に行進。沿道では開催されている「菊まつり」に訪れた観光客らを魅了した。
馬場に到着した射手は、約260メートルの間に3カ所設けられた的を目指して駆け抜ける馬上から次々と矢を放った。午前と午後の2回行われた流鏑馬(やぶさめ)では、射手矢が的を射抜く度に見物客らから歓声が上がった。
見学していた市内の夫婦は「初めて見たが、こんなに速く走る馬の上から矢を離すのは難しそうだった」と話していた。」
と報じられている。
戦後に始められた笠間稲荷神社の「神事流鏑馬」が関東三大流鏑馬と呼ばれているとはとても信じられない。
なお、「日光東照宮の『流鏑馬神事』が初めて執り行われたのは、昭和28年5月石鳥居下左側の下新道において、戦後の日本の復興をめざす人々を鼓舞し、誇りと自信を取り戻させるべく始まりました。以来、春季例大祭奉祝神事として発展し続けています。
また、 平成10年に世界遺産登録を控え、春の例大祭のみ行われていた流鏑馬をより多くの人々に見学してもらうために秋の例大祭でも執り行われるようになりました。」(http://aoikou.net/yabusame)とあり、ここも戦後に始められたものだ。
私はこの日に神奈川県山北町の室生神社を参拝し、流鏑馬神事(https://dr-kimur.at.webry.info/202211/article_29.html)を見物してきた。これも鶴岡八幡宮と共に800年を越える歴史がある。ただし、露払いと射手が乗る2騎が一組になって行うという古式を保ち、鶴岡八幡宮で春と秋に行われる武田流と小笠原流とは別のどの流派にも属さない氏子内に組織された室生神社流鏑馬保存会のメンバーが射手となって行われて来ている。
「笠間稲荷神社の「神事流鏑馬」が11月3日、笠間小学校前の特設馬場で行われた。コロナ禍の影響で3年ぶりの実施となった。(水戸経済新聞)
1950(昭和25)年に始まった神事流鏑馬は、日光東照宮、鶴岡八幡宮と共に関東三大流鏑馬と呼ばれる。鎌倉時代の武者装束に身を包んだ小笠原流一門の射手や氏子らが神社拝殿前で安全祈願を行った後、馬場までの約700メートルを勇壮に行進。沿道では開催されている「菊まつり」に訪れた観光客らを魅了した。
馬場に到着した射手は、約260メートルの間に3カ所設けられた的を目指して駆け抜ける馬上から次々と矢を放った。午前と午後の2回行われた流鏑馬(やぶさめ)では、射手矢が的を射抜く度に見物客らから歓声が上がった。
見学していた市内の夫婦は「初めて見たが、こんなに速く走る馬の上から矢を離すのは難しそうだった」と話していた。」
と報じられている。
戦後に始められた笠間稲荷神社の「神事流鏑馬」が関東三大流鏑馬と呼ばれているとはとても信じられない。
なお、「日光東照宮の『流鏑馬神事』が初めて執り行われたのは、昭和28年5月石鳥居下左側の下新道において、戦後の日本の復興をめざす人々を鼓舞し、誇りと自信を取り戻させるべく始まりました。以来、春季例大祭奉祝神事として発展し続けています。
また、 平成10年に世界遺産登録を控え、春の例大祭のみ行われていた流鏑馬をより多くの人々に見学してもらうために秋の例大祭でも執り行われるようになりました。」(http://aoikou.net/yabusame)とあり、ここも戦後に始められたものだ。
私はこの日に神奈川県山北町の室生神社を参拝し、流鏑馬神事(https://dr-kimur.at.webry.info/202211/article_29.html)を見物してきた。これも鶴岡八幡宮と共に800年を越える歴史がある。ただし、露払いと射手が乗る2騎が一組になって行うという古式を保ち、鶴岡八幡宮で春と秋に行われる武田流と小笠原流とは別のどの流派にも属さない氏子内に組織された室生神社流鏑馬保存会のメンバーが射手となって行われて来ている。
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